企画展 琵琶 ~こころとかたちの物語(1)~企画展 琵琶 ~こころとかたちの物語(1)~

企画展 琵琶 ~こころとかたちの物語(1)~

第1章 琵琶はどこからやってきた?

琵琶の祖先は、古代ペルシアの「バルバット(barbat)」だといわれています。
バルバットは、ユーラシア大陸を東西に結ぶ交易路、
いわゆる「シルクロード(絹の道)」*を通って4世紀後半に東の中国に伝わり
「ピパ(pipa)」になりました。
これが7~8世紀頃に日本へ伝来し、琵琶となりました。

他方、バルバットは西へも渡りました。
7世紀頃までにアラブ世界へ伝わり「ウード(’ud)」と呼ばれました。
その楽器が、8世紀頃のイスラム教徒によるスペイン征服や10世紀末以降の十字軍遠征などにより
ヨーロッパへ持ち込まれ、「リュート(lute)」が生まれました。
本章では上記の楽器を含む、琵琶の同属楽器を展示します。
これらの楽器に共通する形は、祖先であるバルバットの姿について私たちの想像を掻き立ててくれると同時に、
世界の遠く離れた東西の地域に文化的な交流があったことを明確に伝えてくれます。
一方で、細部のつくりや装飾、音楽や奏法には違いが見られ、
各地域に伝わった楽器が独自の風土と文化の中で変化していった様子も分かります。

* 中国から西方地域に絹が運ばれていたことに由来してこのように呼ばれる。
 絹や金[きん]と引きかえに、ペルシアを含む西方地域からは珍しい産物や動物をはじめ、楽器や音楽も東方地域へ伝えられた。

※本文では、日本の琵琶を「琵琶」、中国の琵琶を「ピパ」と記載する。
※楽器の伝来時期については諸説あるが、本文章は『ニューグローヴ音楽大事典(日本語版)』(講談社)および『音楽大事典』(平凡社)の記述に拠る。
※展示品は現代の楽器であり、伝来/成立時の楽器とは若干異なる。

<ウード> ud  西アジア

「ウード」は、アラビア語で「木片」という意味。響板が木製であることと、胴が木片を組み合わせてできていることから、この名前が付いたといわれる。古くは音律測定器(音程や基準音を示す器具)としても用いられ、アラブの音楽理論(マカーム)の確立において重要な役割を果たした。1000年以上にわたってアラブ世界における「楽器の王」とも言われ、独奏や歌の伴奏、合奏に広く使われながら今日まで親しまれている。「リーシャ」と呼ばれるプレクトラムで弦をはじいて演奏する。深みのある低音が特徴。弦数や張りかた、調弦法などは使う国や地域で異なる。

*本展では、地理的には北アフリカに属するエジプトやチュニジア、モロッコなども、アラブ文化圏として西アジアに含む。

<リュート> lute ヨーロッパ

楽器の名前は、「ウード」に冠詞のついた「アル・ウード(al-‘ud)」が変化したものといわれる。初期はウードと同様、プレクトラムで弦をはじいて演奏したが、15世紀後半から指の腹を使う奏法が主流となった。その後、ルネサンス、バロック時代にかけて弦数も増え、独奏や歌の伴奏、室内楽で活躍した。王侯貴族にも愛好され、宮廷に仕えた奏者は音楽家の中で唯一、王の寝室に出入りを許されるほど特権的な地位にあった。18世紀半ば、音楽様式が古典派へと変化したことにより姿を消すが、20世紀初頭に起こった古楽復興運動の中で再興された。

<ピパ> pipa 中国

「ピパ」は、もとは「批把」と書いた。弦を手前から外側に弾くことを意味する「ピ(批)」と、外側から手前に弾くことを意味する「パ(把)」を組み合わせた言葉である。「批把」は当初、棹があり弦を弾いて音を出す弦楽器の総称だったが、7世紀初頭までに、胴が梨型で棹の上部が後方に曲がった4弦の楽器を指すようになった。唐の時代(618-907)までは撥[バチ]で弦を弾いていたが、唐代以降は指の爪または義甲が用いるようになった。これにより、右手の指5本全てを駆使して連続的に弦をかき鳴らす奏法が実現した。また、広い音域や技巧的な演奏が求められるにしたがって柱の数も増え、現在の形になった。